ウィリアム3世とは?イギリス史上で唯一「妻と共同君臨」した国王

2020/7/31|著者: アンティークコインタイムズ編集部

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英国の王室の歴史の中でも、最初で最後といわれている夫婦の共同君臨。妻のメアリー2世とともに英国王として君臨したウィリアム3世の存在は、歴史の中でもかなり特殊といえます。

カトリックとプロテスタントの抗争の時代に英国王となり、ヨーロッパにおける英国の地位を高める礎を気づいたウィリアム3世。彼は、どんな王様だったのでしょうか。

 

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ウィリアム3世は英国王の孫!その家系は?

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ウィリアム3世の両親、オラニエ公ウィレム2世と英国王女メアリー・ヘンリエッタ

 

長い英国王室の歴史の中でも、王と女王が共同君臨するという例はメアリー2世とウィリアム3世をほかにおいてありません。通常は、女王の夫はどんなに身分が高くても「王配」と呼ばれる地位にとどまります。現在のエリザベス2世のご夫婦も、これに従っています。

 

スチュアート王朝の女王としてメアリー2世が即位したのは、1689年のことでした。その時、夫であったウィリアムも強く王位を要求したといわれています。

 

とはいえ、ウィリアム3世自身も立派に英国王の血を引く貴族でした。ウィリアム3世は、オランダ総督オラニエ公ウィレム2世を父に、英国王チャールズ1世の長女メアリー・ヘンリエッタを母に、1650年にハーグで生まれています。

 

つまり、母の家系からは正しく、英国王であったスチュアート家の血を引いていたことになります。

 

ウィリアム3世が生を受けたオラニエ=ナッソウ家は、現在のオランダ王家につながっています。その起源は、ドイツ西部に拠点を置く貴族でした。ウィリアムという名は英国風の発音で、当初は父同様にウィレムと呼ばれていました。

 

ウィリアム3世の不幸は、誕生前に起こりました。彼が生まれる8日前に、父のウィレム2世が天然痘で死去。そのため、ウィリアム3世は誕生と同時にオラニエ=ナッソウ家を継承するという運命にありました。西も東も分からない幼児の当主の周りには、後見をする貴族が群がっていたことでしょう。こんな生い立ちのためか、ウィリアム3世は非常に内向的で暗い性格に育っていったといわれています。

 

また、政治的外交面においても問題は山積していました。ウィリアム3世の父が帯びていたオランダ総督という地位は幼児のウィリアム3世には認められず、オランダは国際的に独立を認められながらしばらくは無総督期間となるのです。

 

さらに、ウィリアム3世よりも7歳ほど年上のフランス王ルイ14世は、虎視眈々とスペイン領であったネーデルラントを狙っていました。というわけで、ウィリアム3世とルイ14世は、生涯を通じて仇敵となるのです。

 

暗い性格であったウィリアム3世ですが、私生活はかなり華やかでした。数多くの女性たちとの関係だけではありません。父を早くに失い男性貴族たちに囲まれて育ってせいか、ウィリアム3世と彼らとの同性愛の噂も後を絶ちませんでした。ウィリアム3世と噂のあった美男の家臣たちは、のちに政府の要職もついています。



21歳で継いだオランダ総督

ウィリアム3世の肩書は華々しく、のちに次ぐことになる英国王のほかに、スコットランド王、アイルランド王、そしてオラニエ公、オランダ総督となります。ウィリアム3世が生を受けたオラニエ=ナッソウ家とはドイツ西部ライン川周辺に勢力を誇った家系で、14世紀からヨーロッパの歴史に顔を出している名門です。とくに、16世紀半ばから起ったオランダ独立戦争において中心的な役割を果たし、オラニエ=ナッソウ家の当主はオランダ総督という地位を帯びるようになったのです。

 

ウィリアム3世の父の死後、このオランダ総督の地位は空白になっていました。しかし当時のオランダは、フランスのルイ14世からの圧力を受け、かつイギリスとも対立していたため、オランダの独立に大きな役割を果たしたオラニエ=ナッソウ家への期待が高まったのです。

 

これを受けて、ウィリアム3世はようやく21歳にして、オランダ総督ウィレム3世と名乗ることになりました。ウィリアム3世はその期待を裏切らず、対フランスとイギリスにおいて実戦でも外交戦でも活躍、仏英両国はオランダの侵略を諦めることになります。若きオランダ総督の手腕は、ヨーロッパに知られることになったのです。



メアリー2世との結婚と英国王の地位

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旧王立海軍大学に残るメアリー2世とウィリアム3世の肖像

 

一時期は戦争をしていた英国の王女との縁談は、、ウィリアム3世にとっては絵にかいたような政略結婚でした。フランスのルイ14世はその後もオランダへの野心を隠そうとせず、オランダは英仏の同盟を切り崩すためにも英国と手を結ぶ必要があったためです。

 

1677年に結婚した2人は、当時27歳と15歳。メアリー2世は、カトリック教徒であった父ジェームズ2世とは異なり、英国王女としてプロテスタントとして育てられました。同じくプロテスタントであったウィリアム3世との夫婦仲は、当初は良好とはいいがたいものでした。政治家としての資質は備えていたウィリアム3世は、容姿に恵まれていなかったということもあるでしょう。12歳差の夫婦は、夫よりも妻のほうが背が高かったとも伝えられています。

 

また結婚直後、ウィリアム3世は妻の侍女にさっそくちょっかいを出し、メアリー2世が激怒するというシーンもあったようです。

 

とはいえ、政略結婚であった2人に大きな転機が訪れました。結婚後はハーグで暮らしていたウィリアム3世とメアリー2世は、英国で起こった名誉革命を受けて王として迎えられることになったのです。フランスに亡命した父ジェームズ2世を敵に回すことになるメアリー2世も、夫ウィリアムとともにプロテスタントの君主として即位することを決意したのでした。

 

噂では、英国の政府は英国王女であるメアリー2世の単独即位を望んでいたといわれています。しかし、野心家であったウィリアム3世が共同即位を強調、その軍事力も侮れなかったことから、英国政府もこれを認めたというわけです。しかし、ウィリアム3世自身もスチュアート家の血を引いていたことも、王として認められた大きな要因であったことはまちがいありません。




混乱するイギリスを泰然と治めたウィリアム3世

1689年に英国王となったウィリアム3世とメアリー2世ですが、その治世は波乱に富んだものでした。当時のヨーロッパは、英国のみならずプロテスタントとカトリックの抗争が激しかった時代です。プロテスタントが主流となりつつあった英国内でも、カトリックの勢力はまだまだ大きかったのです。

 

また、英国に併合されていたスコットランドでは、カトリックの王であったジェームズ2世への思いが強く、ジャコバイトと呼ばれるジェームズ2世派の反ウィリアム3世の動きも活発でした。ウィリアム3世はこうした反抗勢力も、武力によって鎮圧していきます。

 

さらに、カトリックの国であるフランスは、当然のことながらルイ14世がジェームズ2世派に支援を送り、ここでもウィリアム3世とルイ14世の反目はあらわになります。その後に続く、英国とフランスという欧州の二大強国の勢力図は、ウィリアム3世によって作られたといえるかもしれません。つまりは、英国をそこまで大国にのし上げたのがウィリアム3世であったのです

 

男女としての夫婦のありかたはともかく、共同君主としてのメアリー2世とウィリアム3世は、ともに政治的才能に恵まれていたためか絶妙な二人三脚を見せることになります。オランダ総督も兼ねたままであったウィリアム3世は戦地に赴くことが多く、メアリー2世はその留守を立派に守ったといわれています。

 

惜しむらくは、2人のあいだに跡継ぎとなる子供が生まれなかったことでした。1694年、メアリー2世は32歳の若さで天然痘により死去しました。メアリー2世は自分の死後も、ウィリアム3世が単独で王位を保持できるよう遺言を残したとも伝えられています。

 

1694年からは単独の王となったウィリアム3世は、その後もヨーロッパの政治の舞台において大きな存在であり続けました。軍人として優れたいたにもかかわらず、ウィリアム3世は乗馬中にモグラの穴に馬の脚を取られて落馬、その怪我が原因で1702年に51歳で亡くなっています。ウィリアム3世に対抗していたジャコバイトたちは、「モグラ塚の黒いヴェルヴェットの小紳士(モグラの比喩)に乾杯!」とうっ憤を晴らしたのだとか。

 

現在の知名度ではそれほど大きな扱いではないウィリアム3世ですが、英国がヨーロッパの強国へと駒を進める推進力を有していたことはまちがいありません。



コインにも刻まれた共同君臨の王

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1689年に英国王として即位したウィリアム3世とメアリー2世は、当時鋳造されたコインにも2人で肩を並べる姿で刻まれています。裏面には、英国王室の紋章とともにウィリアム3世の出身を示すオラニエ=ナッソウ家のシンボルが見えます。

 

妻のメアリー2世は、即位後わずか5年でなくなってしまったため、その意匠の珍しさもあり夫婦が並んだコインはコレクターたちのあいだでも大変な人気があります。

 

メアリー2世の死後は、コインにもウィリアム3世1人が刻まれており、その姿は心なしか寂しそうにも見えますね。



最後に

オランダ総督でありながら、妻の英国王即位によって共同君臨するという特異な変遷をたどったウィリアム3世。彼の即位によって、プロテスタントとカトリックが拮抗していたヨーロッパの勢力図も大きく変わることになりました。風采はイマイチといわれたウィリアム3世は政治的な手段には恵まれた君主であり、戦場においても優れた指揮官としての資質を示しています。

 

フランスと勢力を二分するイギリスという構図を作り上げたのもウィリアム3世、歴史の中で彼が果たした役割は、非常に大きかったといえるでしょう。


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タグ: イギリスの歴史

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