英国王ジョージ4世はどんな人物?悪名高きイギリス王と呼ばれる理由も解説

2020/7/31|著者: アンティークコインタイムズ編集部

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1066年から始まるといわれる英国王室の歴史は、ある歴史家によれば「王室の歴史は、名君よりもスキャンダルに包まれた国王のほうをより多く記録してきた」といわれるほど三文記事に事欠きません。

そんな英国王室の歴史のなかでも、イギリスのハノーヴァー朝の国王ジョージ4世は、悪名高き王として名を残しています。一方で、スコットランドでは人気があったという矛盾を持つジョージ4世、彼の人生を追ってみましょう。

 

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ジョージ4世の幼少期は?金のスプーンを口にした王子の誕生

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▲母シャーロット妃とジョージ4世(左)、弟のフレデリック王子

ジョージ4世は、ハノーヴァー朝の4代目として1762年に生まれました。ハノーヴァー王家はドイツの家系でしたが、ジョージ4世の父(ジョージ3世)の時代からようやく英国人らしい王となり、国民からも受け入れられるようになっていました。長男として生まれたジョージ4世は「金のスプーンを口にした王子の誕生」として国民に大いに祝福されたのです。

ジョージ4世は、幼少期には語学の才能にも恵まれ、美男美女であった両親の血を継いで美しい容姿の王子でした。父ジョージ3世とシャーロット王妃のあいだには、ジョージ4世を筆頭に9男6女が生まれています。その長男として、父ジョージ3世は、ジョージ4世の養育については「甘やかすな」という方針を貫いたそうです。

しかし、その教育は実を結ばず、ジョージ4世は、18歳で独立したあと数々の愚行を重ねることになるのです。イギリス国民はジョージ4世から直接被害を被ることはなかったものの、スキャンダルだらけの皇太子に困惑し、ジョージ4世を揶揄する風刺画が巷にあふれることになったのです。

 

ジョージ4世はプレイボーイ!?18歳で独立、手当たり次第の女性関係

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▲魅力的だった若き日のジョージ4世

厳しい教育を受けたにもかかわらず、なぜジョージ4世は数々の愚行をおかしてしまったのでしょうか。皇太子時代のジョージ4世がさまざまな問題を起こした理由の一つとしては、叔父であるカンバーランド公ヘンリーの存在があると言われています。

品行方正であったジョージ3世の弟とは思えないほど、カンバーランド公は奔放な人でした。兄王に無断で結婚したり、それが二重婚であったりとジョージ3世をさんざん悩ませたと言われています。彼のスキャンダルから、1772年の「王室結婚令」ができたといわれたほど。

カンバーランド公の影響を受けて、皇太子時代のジョージ4世は反国王派の貴族と昵懇(じっこん)になり、高額のギャンブル遊び、ブランデーのがぶ飲みなど、よからぬ紳士のたしなみを会得することになってしまうのです。

ジョージ4世は女性関係も派手だったそう。プレイボーイであった叔父カンバーランド公の影響で、16歳で女官に手を出したのを皮切りに、妹の家庭教師や女優と次々にスキャンダルを起こすことになりました。

したたかな愛人たちの中には、彼に高額の宝飾品を要求したり、ジョージ4世の恋文を材料に金品をねだるなど、まさに三文記事のオンパレード。父王や宰相は、ジョージ4世が立ち直ることを望みつつ、こうした歳費を賄い続けたといいます。

そのような生活の中、1784年にジョージ4世が出会ったのがマリア・フィッツハーバート夫人でした。お金持ちの未亡人であったフィッツハーバート夫人はカトリック教徒で、それを理由にジョージ4世を避け続けたのですが、ジョージ4世は、自殺騒ぎまで起こして恋を成就させます。さらに、フィッツハーバート夫人に結婚までせまりました。

ジョージ3世の王室結婚令によれば、ジョージ4世がカトリック教徒の女性と結婚した場合は王位継承権を失うことになります。ところが、2人は1785年に英国国教会の牧師を招いて結婚を強行。これにはさすがのジョージ4世の取り巻きたちも驚き、ジョージ4世の軽率をなじったそうです。

9年後にジョージ4世とフィッツハーバート夫人は別れることになりますが、その間にもジョージ4世の女性あさりや病むことがなく、父ジョージ3世の心労は極限に達して精神を病むことになってしまったのでした。

 

ジョージ4世とキャロラインの不幸な結婚生活

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▲結婚後即別居した王妃キャロライン・オブ・ブルンスウィック

フィッツハーバード夫人と別れたころのジョージ4世は32歳。当時は皇太子でしたが、ジョージ4世の借金は皇太子の歳費の6年半分に匹敵する巨額に達していました

そのため、ジョージ4世はこの借金の棒引きを条件に、英国政府が求める政略結婚に応じたのです。父ジョージ3世も長男のだらしなさに頭を抱えますが、なんといっても王位継承者の存否にかかわる問題であるため、30代に入った息子ジョージ4世の嫁探しを始めました。

ちなみに、ジョージ3世の子どもたちの結婚年齢は非常に遅く、王室内のスキャンダルが英国内外の王侯貴族たちに二の足を踏ませていたようです。

何人かの候補者の中から、ジョージ4世自身が肖像画を見て気に入ったのがブルンスウィック・ヴォルフェンビュッテル公の娘キャロラインでした。しかし2人の結婚は、なれそめから不幸に終わる運命にありました。

1795年4月、キャロラインはロンドンに到着し、ジョージ4世はさっそく開かれたレセプションで彼女にキスをします。ところがその強烈な体臭に驚き、ジョージ4世は場所を移してブランデーをあおったという逸話があります。

また、キャロラインも若き日の容姿の面影もなく、異常な肥満のジョージ4世に幻滅したとのちに語っています。3日後に行われた結婚式では、ジョージ4世はブランデーをしこたま飲んで酩酊状態、弟たちに左右から支えられてやっと式に臨んだそうです。

2人のあいだには1796年に長女シャーロットが生まれますが、あっというまに別居。ジョージ4世は当時の愛人であったジャージー伯夫人フラーンセスと同居し、国民の不評は一気に高まることになったのです。

 

摂政から英国王となるも、変わらぬジョージ4世の不評

1810年にジョージ3世は視力を失い、また精神的にも再起不能と診断されます。そのため、ジョージ4世は皇太子と摂政位(リージェント)を兼任するようになりました。国政を担うという責任を実感することもなかったようですが、リージェンツ・パークやリージェント街など今に名を残す都市計画には熱心でした。

女性関係はひきもきらず、キャロライン王妃の不貞の証拠を握って離婚することばかりを考えていたジョージ4世、1820年に父王の死に伴って英国王ジョージ4世として即位しました。1821年7月に行われた戴冠式にさえ、キャロライン王妃の参加を認めなかったのです。

一時期はジョージ4世の仕打ちに憤慨し、キャロライン王妃に同情していたイギリス国民も、キャロライン王妃自身に魅力がなかったためかその気持ちも長続きはしなかったようです。結局キャロライン王妃は、ジョージ4世の戴冠式の10日後に他界。

ジョージ4世はその後、10年を王として過ごしましたが、再婚はしないまま終わっています。

 

ジョージ4世の功績|スコットランドへの行幸とナポレオンとの抗争

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治世に業績が少ないといわれるジョージ4世ですが、戴冠後にはリチャード2世以来というアイルランド訪問を行っています。また、1822年には、緊張状態が続いていたスコットランドを訪問、かの地の人々に熱烈な歓迎を受けました。

イギリスの王がスコットランドを訪問するのは、1633年以降初めてのこと。スチュアート王家の発祥の地であり、ハノーヴァー王家には親しみがなかったスコットランドの人々は、民族衣装のキルトをまとって登場したジョージ4世に大いに親しみを感じたようです。こうして、ジョージ4世はスコットランドとの融和に成功したのです。

また、ジョージ4世は摂政時代からナポレオンとの戦争にかかわってきました。イギリスは、フランス革命後のナポレオンの動向に神経をとがらせていました。トラファルガーの海戦やワーテルローの戦いで、イギリスはナポレオンを破り、フランスの勢力を撃沈。ヨーロッパの超大国としてのメンツを保ったのです。

ワーテルローの戦いが行われたのは、ジョージ4世が摂政であった時代でした。ジョージ4世は、晴れて戦勝国の王として即位したことになります。

晩年のジョージ4世は、最後の愛人カニンガム候夫人とともに過ごし、1830年6月26日にウィンザー城で世を去りました。

医者が検視をした時、ジョージ4世のペンダントにはフィッツハーバート夫人の肖像画が収められていたそうです。彼女と結婚式を挙げた時、ジョージ4世はこの肖像画を生涯離さないと誓ったのだとか。ペンダントはジョージ4世の遺体とともに埋葬されましたが、それを聞いたフィッツハーバード夫人は大粒の涙を流したそうです。

とはいえ、当時のザ・タイムス紙はジョージ4世の死を酷評で飾りました。

「親不孝者、最悪の夫、不良の国民、悪い王。誰が、ジョージ4世のために涙を流すだろう? 誰が心からの悲しみで心を満たすだろう?」
 
少なくとも、フィッツハーバート夫人だけは、涙を流してその死を悼んでくれたことになります。

また、ジョージ4世がキャロライン王妃との間にもうけたたった1人の王女シャーロットは、のちにベルギー王となる男性と結婚したものの産褥で早逝。ジョージ4世の後は、弟のウィリアムが継ぐことになりました。

 

短髪がモダンなジョージ4世の金貨、希少価値も高し!

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▲1826年ジョージ4世の金貨

中年以降は肥満体になってしまったというジョージ4世ですが、若いころはなかなか魅力的な容姿の持ち主でした。父ジョージ3世は、当時の風潮に忠実に長髪の肖像を残していますが、息子のジョージ4世はぐっと近代的に短髪になっています。それは、ジョージ4世の金貨に刻まれた横顔からもわかりますね。

1815年にナポレオンが失墜しヨーロッパ内の行き来も自由になったためか、高名なイタリア人彫刻師ベネデット・ピストルッチがイギリスに招聘され、非常に美しいジョージ4世の紋章を金貨の裏面に刻んでいます。

ジョージ4世自身の悪評のためか金貨にも人気がないと言われたこともありましたが、それがかえって穴場に。コインそのものの美しい意匠、発行枚数が少ないという要因から、最近は人気金貨の仲間入りをしています。

 

悪評にまみれた英国王ジョージ4世

まじめな父王ジョージ3世の薫陶もむなしく、絵にかいたような放埓な王子として成長したジョージ4世。誕生時には国民から大いに祝福されたにもかかわらず、その後は英国王室の中でもまれに見る悪評にまみれた王になってしまいました。

若いときには魅力的な容姿であったジョージ4世は、乱れた生活がたたって肥満体に。これも、不人気の理由かもしれません。しかし、キルトを身に着けたスコットランドでは人気を博し、外交的な功績も残しています。

 

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タグ: イギリスの歴史

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