ハノーヴァー王家の3代目ジョージ3世!子どもたちの不品行に悩まされた過去とは

2020/7/9|著者: アンティークコインタイムズ編集部

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世相が富に乱れた18世紀、ハノーヴァー王家の3代目として即位したジョージ3世。悪評が多いハノーヴァー王家の王様の中では、端然とした容姿とまじめな性格で知られています。

 

王妃との仲も非常によく、生まれた子供の数はなんと15人。ジョージ3世は、その生真面目さゆえに、子どもたちの不品行に悩まされて最後は精神を病んでしまうという痛ましい運命に見舞われました。

 

ジョージ3世の孫が、ヴィクトリア女王です。王として家父長として、苦悩が多かったジョージ3世の人生を追ってみましょう。

 

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スキャンダルまみれのハノーヴァー王家に生まれたジョージ3世

英国王室は、女性による血の継承も認めています。1707年にスチュアート王家のアン女王が跡継ぎを残さずに亡くなった後、何代か前の英国王女の血を引いていることからイギリスの王としてハノーヴァーから迎えられたのが、ジョージ1世です。

 

系図でいうと、ジョージ1世はジェームズ1世の曾孫にあたります。ドイツ名の「ゲオルク」が、「ジョージ」と英国風になったのです。

 

50代で即位したジョージ1世は英語も話すことができず、まったく人気のない王でした。息子のジョージ2世はこの父に逆らい、親子の仲も最悪だったといわれています。ジョージ2世の王妃は、幸いにも賢婦人の誉れ高いキャロライン・オブ・アーンズバックでしたが、その息子フレデリックも、長年ドイツに留め置かれていたためかョジージ2世と父子相克をくり広げるのです。

 

今回の主役、ジョージ3世はこのフレデリックの息子です。フレデリックは皇太子のまま1751年に死去。

 

祖父ジョージ2世の後を受けて、ジョージ3世が即位したのは1760年。王は22歳でした。当時、英国王であったハノーヴァー家は、神聖ローマ帝国のハノーヴァー選帝侯も兼任していました。そのため、代々の王や皇太子はドイツに滞在することが多く、英語が満足に話せなかったのです。

 

しかしジョージ3世は、英国民の気持ちを慮って生涯ハノーヴァーには足を向けませんでした。また、母語も英語で通し、ハノーヴァー家が英国にとけこむ努力を重ねました。

 

ハノーヴァー家の王たちはお世辞にも容姿端麗とはいえなかったのですが、ジョージ3世は祖先とは異なる優美な容姿で、これも人気があった理由といわれています。また、女性問題などのスキャンダルが多かったハノーヴァー家の王の中では愛人も作らず、王妃とは人もうらやむ夫婦仲でした。

 

それでも遺伝子とは恐ろしいもので、ジョージ3世も息子のジョージ4世に背かれることになるのです。

 

ジョージ3世の母と妻

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実質はドイツ人であったハノーヴァー家の王たちは、妻もドイツの貴族から選ぶのが慣習になっていました。この妻たちの人生も波瀾万丈。

 

とくに、ハノーヴァー王朝初代のジョージ1世妃ゾフィー・ドロテアは、醜男の夫とは釣り合わないほどの美女でしたが、夫に幽閉されて不幸な人生を送りました。

 

ジョージ3世の祖父、ジョージ2世の妻キャロラインは、良妻賢母として名を残しています。いっぽう、ジョージ3世の母オーガスタは多産でしたが、息子への過干渉や浮気の噂もあり、英国民間の人気はイマイチ。

 

生真面目なジョージ3世は、当初は結婚相手も英国人からと考えていたようです。しかし母の干渉でこれはかなわず、結局ドイツにある公国の公女シャーロット・ソフィアと結婚しました。

 

6歳違いの夫婦はとても仲が良く、ジョージ3世は英国王としては珍しく愛人も持ちませんでした。どちらも多産の家系であったためか、2人のあいだには20年の間に9男6女が誕生。

 

まさに絵にかいたような家庭、と言いたいところですが、実際にはこの子供たちの不品行で夫婦は生涯頭を悩ませることになるのです。

 

家族の不品行に悩まされたジョージ3世

即位後のジョージ3世は、家臣に任せきりであった祖父や曽祖父の弊害を取り除くために、積極的に政治に参加するようになります。

 

ところが、それを阻んだのが家族の不祥事でした。ちなみに、ジョージ3世自身も兄弟姉妹が多い家庭に生まれています。

 

そのうち、弟の2人が貴賤結婚や重婚でスキャンダルを起こしています。国民に示しがつかないと怒ったジョージ3世は、1772年に「王室結婚令」を発布。王族の勝手な結婚を禁じました。

 

この王室結婚令と1701年に制定された王位継承令は今も健在で、英国王室の柱となっています。皮肉なことに、この王室結婚令を無視して勝手な結婚をしていたのが、ジョージ3世の子どもたちなのです。

 

また、ジョージ3世の姉のオーガスタは弟の政敵が開催するパーティに出席したり、妹のキャロライン・マティルダはデンマーク王妃となったものの姦通罪で逮捕。

 

さらに追い打ちになったのが、長男ジョージの愚行でした。ジョージ4世となった彼が他界した時、当時の新聞は「親不幸者、最悪の夫、不良の王、誰も彼のために涙を流しはしない」と書かれたほど、英国の歴史の中でも突出した悪名高い存在でした。

 

数々の女性関係、王妃との不仲、借金などなど新聞を騒がせたほか、唯一の嫡子であったシャーロットも早逝してしまうのです。

 

次男も身分の低い女性とスキャンダルを起こし、ウィリアム3世として即位した3男は王としての器量はあったものの長年女優との内縁関係を続けていました。

 

跡継ぎの問題が浮上し、ウィリアム3世も急遽貴族の女性と正式な結婚をしますが、結局跡を継いだのは4男エドワードの長女ヴィクトリアでした。彼女が、かの有名なヴィクトリア女王となります。つまり、ジョージ3世は15人の子どもを設けたにもかかわらず、跡を継ぐ嫡孫はたった1人であったというわけです。

 

息子たちだけではなく娘たちも、王女とは思えない乱脈ぶりを発揮して欠くこともはばかられるほど。子どもたちの惨状に、ジョージ3世は精神に異常をきたすほどに悩むことになります。

 

晩年は精神の病が重くなり、視力も失ったジョージ3世は、王妃シャーロット・ソフィアに介護されながら、ウィンザー城の周辺を散策するなどして過ごしたそう。王という立場でありながらも、気さくに農民たちに話しかけていたようで、農民たちからは敬愛を込めて「ファーマー・キング」と呼ばれていたというエピソードが残っています。

 

ジョージ3世が生きた18世紀のイギリス

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長い英国の歴史の中で、王や王子の不行跡は枚挙にいとまがないほど記録に残っています。それなのになぜ、ジョージ3世の治世はとくに大きなスキャンダルとなったのでしょうか。

 

それは、18世紀のイギリスの社会自体のモラルが下がったから、という見方があります。18世紀の画家ウィリアム・ホガースが残した風俗画には、当時の庶民たちの生活が描かれています。モラルが乱れた世相が、彼の作品には写し取られているのです。

 

たとえば、イギリス王室の中でも「陽気な王様」として愛されたチャールズ2世も、数えきれないほどの愛人や庶子を持っていました。しかし、チャールズ2世は愛妾にも庶子にも、生活が困らないよう細やかな配慮を怠らなかった王様でした。それが、人間味と解釈されて人気があったのです。

 

いっぽう、ジョージ3世の子どもたちの乱倫はまさにでたらめといった感があり、18世紀のイギリスは階級の差には関係なく、道徳観に問題があったのかもしれません。ジョージ3世自身は人一倍道徳観を大切にする人だっただけに、よけいに心をすり減らす結果になったのでしょう。

 

ジョージ3世の時代 産業革命とアメリカ独立宣言

家庭内の内紛に加えて、ジョージ3世の治世は世の中の動きも大きなうねりを見せていました。

 

ちょうどジョージ3世が即位するころから、イギリスでは産業革命の動きが本格化します。イギリスが経済的にも大国になる要素が急成長していたいっぽうで、イギリスが植民地としていたアメリカが、1776年に独立宣言をするのです。

 

当初は、広大な植民地を失うことを受け入れられなかったジョージ3世も世相には逆らえず、アメリカが独立後には2国間の友好的な関係維持のために努力したといわれています。

 

60年に及ぶ在位期間を誇ったジョージ3世ですが、その生涯は波乱万丈でした。ジョージ3世自身の評判も毀誉褒貶ですが、子どもたちに悩まされながらもヴィクトリア女王という孫を生み出した中興の祖といえるかもしれません。

 

ジョージ3世のアンティークコイン(金貨・銀貨)

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画像は「イギリス ジョージ3世 1817年 ハーフソブリン 金貨」。月桂冠を戴く右向きのジョージ3世、大きな目とふくよかな横顔が特徴です。

 

ジョージ3世のコインで人気があり価格が高いのは、5ポンド金貨。現存枚数は、数十枚程度ということで、もし市場にでてくれば数千万円から数億円の値が付くと予測されます。

 

1817年にはジョージ3世の試鋳銀貨も作られており、これは「ウナとライオン」のデザイナーであるウィリアム・ワイオンによって手がけられたそう。

 

弊ショップでもジョージ3世のアンティークコインを取り扱っておりますので、もしご興味がある方はお気軽にご連絡ださいませ。

 

アンティークコインギャラリア公式:https://antique-coin-galleria.com/

 

終わりに

スチュアート家の王が絶え、ドイツから迎え入れられたハノーヴァー家。英国民との軋轢も少なからずあった同家の中では、英国王であることを自らに課した王でした。

 

イギリスの社会やヨーロッパの歴史が転換期にあった時代に、生真面目に王を務めたジョージ3世。本人の努力とは別に、家族の問題に悩まされた家父長でもありました。残る肖像画は、ハノーヴァー王家の王の中では抜きんでた容姿を伝えています。

 

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タグ: イギリスの歴史

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