ヴィクトリア女王とは?ヴィクトリア朝時代の大英帝国と人気コイン「ウナライオン」

2020/7/17|著者: アンティークコインタイムズ編集部

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最盛期の大英帝国の象徴的存在である、ヴィクトリア女王。イギリスが世界の実権を握る華々しい時代に、イギリス女王として君臨していました。

 

彼女の即位時には即位記念として、金貨「ウナとライオン」も発行。在位から晩年、そして現在に至るまで国民に圧倒的な存在感を放っています。

 

そんなヴィクトリア女王の生涯とは一体どんなものだったのでしょう。この記事では、ヴィクトリア女王の愛と波乱に満ちた激動の生涯について紹介します。

 

同時に、当時のイギリス社会における技術発展や領地拡大、その裏に潜む貧富の差による犯罪についても解説していきます。ヴィクトリア女王の人物像と彼女の生きた時代、両方を学んでみましょう!

 

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ヴィクトリア女王とはどんな人物?

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画像:ヴィクトリア女王

 

ヴィクトリア女王は、風変わりな性格が評判のケント公エドワードと過保護なマリー・ルイーゼ・ヴィクトリアの長女として1819年に誕生しました。

 

叔父の前王ウィリアム4世が逝去し、王位継承者として1837年に18歳という若さでイギリス女王に即位。

 

「私は全力を尽くして、我が国に対する私の義務を果たします」

 

このように即位時に述べ、女王として君臨する強い意思を見せます。

 

若すぎることで即位当時の国民の期待は少なかったものの、領土拡大など数多くの政策を行い、ヴィクトリア女王は徐々に「大英帝国時代」の象徴となっていきました。

 

そんな彼女の在位は63年7か月。現在のエリザベス女王に次いで2番目の長さを誇り、生涯の大部分をイギリス国家の繁栄に費やした女王の一人です。

 

ヴィクトリア女王の性格

イギリスを栄華に導いたヴィクトリア女王。一見、非の打ち所のない人物のように思えますが、実際にはそうではありません。

 

ヴィクトリア女王は我儘で短気な面があり、意見されることを嫌う難しい性格の持ち主。本人ですら、「この性格は矯正することができない」と言うほどです。

 

そんな女王と上手く付き合うにはちょっとしたコツが必要でした。彼女の夫アルバートや後のイギリス首相ディズレーリはそのコツについてこう語っています。

 

アルバート

「彼女が激昂した時は、黙って引き下がるか多少乱暴な手段に出るしかない」

 

ディズレーリ

「女王のお言葉に決して拒まず、反対せず、時々忘れることだ」

 

こうしてみると、大英帝国の君主たるヴィクトリア女王にも、私たちと同じように短所があったことが分かります。

 

ヴィクトリア女王の社会への関心

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画像:ヴィクトリア女王(左)とベンジャミン・ディズレーリ(右)

 

君主として公務に勤しみながら、ヴィクトリア女王はイギリス社会にも関心を示しました。まず、ユダヤ人問題です。19世紀のユダヤ人は、宗教的価値観の違いをきっかけに迫害を受けていました。しかし、ヴィクトリア女王はそんなユダヤ人に対して差別的な扱いをせず、とても寛容的な態度で接しました。

 

イギリス王室として初めてユダヤ人に爵位を授与。政治面でもユダヤ人であるベンジャミン・ディズレーリに全幅の信頼をおきました。これは、19世紀のイギリス社会においてはとても画期的なことです。

 

また、ヴィクトリア女王はイギリス庶民が震撼した切り裂きジャック事件にも興味を持ちます。1888年に始まった猟奇的な連続殺人事件であり、推定5人もの女性が惨忍な手口で殺害されました。200年近く経った現在も犯人は捕まっておらず、未解決のままです。

 

この事件発生当初、ヴィクトリア女王は意外なことを内務大臣に言いました。

 

「シャーロック・ホームズのような捜査をしなさい」

 

シャーロック・ホームズとは、作家コナン・ドイルが書いた推理小説に登場する名探偵。1887年に発行されたこの大衆小説は、イギリス国民に莫大な人気を誇りました。小説の中でホームズが行う捜査とは、近代的な科学捜査に加えて徹底的な観察と分析。当時の警察には遠く及ばない、とても優れたものでした。

 

そのため、ヴィクトリア女王も空想上の人物であるシャーロック・ホームズに興味を持ったのでしょうか。

 

これは、19世紀当時のイギリスの犯罪と国民の娯楽小説が君主たる女王にまで影響を与えた事件と言えます。



ヴィクトリア女王の生涯と治世

さて、ここからはヴィクトリアの生涯と当時のイギリスの様子を順を追って解説していきましょう。

 

ヴィクトリア女王の即位前後

ヴィクトリア女王は1819年5月24日に誕生。イギリス王室では珍しいドイツ由来の「ヴィクトリア」という名前を授かりました。これは、母親がドイツ家系だったことが関係しています。生後8か月の時には父エドワードを失くし、母親のケント公妃とともにケンジントン宮殿で暮らしはじめました。

 

実はこの時のイギリス王室は、深刻な後継者不足。ヴィクトリア女王の他に王位継承権を持つ兄弟たちが早逝したのです。祖父であるジョージ3世が逝去し、叔父のジョージ4世が国王として即位するとヴィクトリア女王の王位継承権は一気に上がりました。

 

その結果、影で国事を操りたい過保護な母親ケント公妃とそんな公妃を嫌う叔父ジョージ4世との確執が悪化。幼いヴィクトリア女王はこうした険悪な環境下に置かれてしまいます。

最終的に、ジョージ4世が逝去後に18歳で女王として即位。しかし、母親の干渉は避けて公務を自分の力で行うようになりました。

 

ただし、18歳という年齢ながらに自分の意見を押し通すという未熟さもあり、ある「事件」を引き起こします。それは、慣例であった政権交代による女官の入れ替えの拒否。ヴィクトリア女王は自分の信頼している女官を手放したくなかったのです。

 

この一件で、政権交代は白紙に。イギリス王室において、君主の私情で政権に影響が出た一例と言えます。

 

若さ故の未熟さも見せたヴィクトリア女王。しかし、運命の男性と出会い、彼女の治世は変わり始めます。アルバート・オブ・ザクセン=コーブルク=ゴータとの結婚です。



最愛の夫アルバートとの結婚

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画像:ヴィクトリア女王とアルバート公

 

1839年にウィンザー城にてアルバートと対面したヴィクトリア女王は、その容姿に惚れ込み自らプロポーズ。1840年に結婚に至りました。

 

「世界で私ほど幸せな人間はいない。彼は天使のようです」

 

と語るほど、アルバートとの結婚はヴィクトリア女王にとって人生最大の喜びでした。歴代の王族夫婦とは違い、二人はとても仲睦まじかったと言います。

 

二人は4男5女という9人の子宝に恵まれました。彼らの子女たちは各地のヨーロッパ王室と婚姻。後に40人の孫と37人のひ孫にも恵れました。

 

子孫がヨーロッパ各地にいるため、ヴィクトリア女王は「ヨーロッパの祖母」とも呼ばれています。

 

ヴィクトリア女王にとって夫アルバートは最愛の人でしたが、彼が政治に携わることは避けていました。結婚当初、ドイツ出身のアルバートはイギリス国内では「外国人」という認識で、彼が国事に関与することで国民の非難を浴びる可能性があったから。

 

しかし、ヴィクトリア女王の出産が続いたためにアルバートが国事に就くことが増加し、ヴィクトリア女王は彼の高い政治能力を目の当たりにします。

 

アルバートとともに公務に取り組む

アルバートの政治能力を認めたヴィクトリア女王。今までとは違い、公務に関して彼の助力を求めるようになりました。アルバートから「君主は中立の立場を取るべき」と助言を受けたヴィクトリア女王。その後、彼女は偏った政治的見方を改めるようになりました。

 

その結果、疎遠だった有能なロバート・ピールとの関係修復に成功。初めは反発的だったヴィクトリア女王も徐々にピールの手腕を認めるようになったと言います。

 

女王夫妻の支持を得たおかげで、首相ピールは国民に有益となる関税の削減や所得税の導入を推進できました。

 

また、アルバートの説得によりイギリス王室内の大規模な改革も実施。使用人の入れ替えをし、備品の帳簿作成などを徹底しました。反発も起こりましたが、食材や日用品の無駄遣い、使用人たちの無能ぶりが一掃。王室費の大部分が節約されました。

 

他にも、アルバートの指揮により世界初のロンドン万国博覧会が開催。出品した品々は、イギリスの植民地の品も数多くありました。これにより、イギリスが世界最大の産業国であることを世に示すきっかけとなったのです。また、アルバートには万博によって、自由貿易と外交をより円滑にする狙いもありました。

 

そんなロンドン万国博覧会の当日に開会宣言を行ったヴィクトリア女王。その日の日記にはこう記されています。

 

「神の加護があらんことを。最愛のアルバートと、今日その偉大さを示した愛する祖国の上に」

 

こうしてヴィクトリア女王はアルバートの能力を深く尊敬し、夫婦で協力して公務を行いました。そしてイギリス国内や王室を変化を起こしたのです。

 

しかし、その幸せな時間は長くは続きませんでした。アルバートが重篤な腸チフスに罹り、1861年42歳という若さでこの世を去ったのです。

 

ヴィクトリア女王の晩年

アルバートの死はヴィクトリア女王に大きな悲しみと喪失感を与えました。彼女はアルバートの死後10年もの間、公務に姿を見せず嘆き苦しみます。

 

この時から、ヴィクトリア女王の服装は常に黒い喪服。女王らしい豪華な衣装を着ることはありませんでした。これは女王が逝去するまで続いたと言います。

 

また、アルバートの死を早めた原因として長男エドワード7世を責め、公務に一切関わらせることはありませんでした。

 

しかし、喪中の間も外交問題に関しては関心を寄せています。内閣に対して他国の内戦などに介入しないよう命令。ヨーロッパ全体が危機に陥る問題のみに関わるよう、助言しています。

 

そして、当時の首相ディズレーリの励ましを受けてやっと公務に復帰。帝国主義政策により、イギリスは世界各地を植民地又は半植民地化していきます。

 

その過程で、1876年にヴィクトリア女王は「インド女帝」としても即位しました。そして、夫アルバートとの公務を思い出しながら、1901年に81歳で逝去するまでイギリス女王として君臨したのです。



ヴィクトリア女王による文化の形成

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画像:ヴィクトリア朝時代のファッション

 

19世紀イギリスでは産業や経済の発展の他に、ヴィクトリア女王の影響を受けて文化も発展。芸術や国民の道徳的価値観などに変化が起こりました。

 

家族団欒を大切にする価値観が広まる

アルバートとヴィクトリア女王は、それまでのイギリス王族とは異なり家族に誠実でした。婚外子が多かった叔父たちに対して、二人はお互いをとても大切にします。

 

アルバートはヴィクトリア女王に対して、誠実な夫であり続けました。それに応えるように、ヴィクトリア女王も自身が亡くなるまで献身的に夫に尽くします。

 

こうしたまじめな姿にイギリス国民は親しみを持ち、「ロイヤル・ファミリー」としてその家庭を理想としました。

 

その結果、ヴィクトリア朝では家庭を守る女性が賞賛。中流階級以上の女性は働くことを嫌われ、現在でいう「専業主婦」になることを求められました。

 

ヴィクトリア朝のファッション

ヴィクトリア女王はその治世時に、国民の服装にも影響を与えました。それは、女王の身持ちの堅さと性的な面を見せない姿勢です。

 

ヴィクトリア朝の婦人服や紳士服は、両方とも極力肌を見せないのが普通。当時はくるぶしが見えただけでも、恥ずべきこととされるほど堅苦しい服装だったのです。

 

そのため、婦人服においてスカートの膨らみの変化などがあったものの、殆どの服飾が全身を覆うスタイルでした。

 

特に喪服は女王が長く着用したこともあり、その規範は細分化。亡くした人との関係によって喪服の種類が変わったり、年月によって色が異なりました。

 

また、喪に服している期間が長ければ長いほど賞賛を受けた時代。亡き夫アルバートに対して死ぬまで喪に服したヴィクトリア女王がその最もたる存在と言えます。

 

ヴィクトリア女王の即位記念金貨「ウナとライオン」

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画像:アンティークコイン「ウナとライオン」

 

ヴィクトリア女王は1837年にイギリス女王として即位。その記念として発行されたのが、金貨「ウナとライオン」です。

 

この5ポンドのプルーフ金貨は、たったの400枚しか発行されなかった希少性の高いコイン。デザインの美しさも相まって、コレクターの間では憧れの的になっています。

 

金貨の表面にはヴィクトリア女王の横顔とラテン語で、

 

「我が君主が進むべき道を示すであろう」

 

と刻まれており、後のヴィクトリア女王の活躍を予言しているかのようです。

 

裏面には国家を導く女王の姿をウナという擬人とライオンで表しています。これにより、金貨「ウナとライオン」と呼ばれるようになりました。

 

2020年現在、金貨「ウナとライオン」は約1億円もの価値があるとされています。今後もこの価格は上昇すると予測されるでしょう。



ヴィクトリア女王の生涯から当時のイギリスを知ろう!

長い在位を誇り、19世紀からイギリス国民に絶大な人気を持つヴィクトリア女王。この記事では、その生涯と当時のイギリス社会について解説しました。

 

ヴィクトリア女王の人生はまさに波乱万丈。18歳という若さで即位し、政治や外交などを夫アルバートと共に行いました。

 

著しく発展していくイギリスを牽引し、その栄華の頂点として君臨。その生涯では、技術発展と犯罪というイギリス社会においての光と影を見ることもできます。

 

しかし、その一方で様々な幸福と苦難にも出逢いました。彼女も愛する人と結ばれる幸福を感じ、別離という深い悲しみを背負った一人の女性だったのです。

 

ヴィクトリア女王とは、大英帝国の象徴的存在でもあり、夫と家庭を愛する一人の女性だったと言えるでしょう。

 

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タグ: イギリスの歴史

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