1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨の価格やコインの特徴を解説!

 

「1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨」は19世紀に君臨したイギリスのヴィクトリア女王即位50年を記念して発行された金貨です。「パクス・ブリタニカ」と呼ばれた英国の繁栄期に君臨したヴィクトリア女王がどのような状況の中で即位50年を迎えたのかその背景を探っていきましょう。

 

 

1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨の特徴

1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨は、「周年」を意味する「ジュビリー」と「頭部」を意味する「ヘッド」をあわせて、「ジュビリーヘッド」と呼ばれるコインの一つ。まず、その希少性やコインのデザインの特徴などを見ていきましょう。

 

1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨の価格・希少性

ヴィクトリア女王の即位50年を記念して発行された「1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨」は、初回発行後1年間に渡って作られました。総発行枚数は54,000枚、プルーフ数はわずか797枚という少なさです。そのため、希少性が高くなっています。

ヤオフクを例に取ると、過去10年間でヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨が出品されたのは4回のみ。入手の難しさが分かると思います。最近出品されたケースでは、1枚あたり340,000円と550,000円(*1)という高価格で落札されています。
*1)グレードや購入タイミングによって、価格は常に変動します。

 

▲1887年ヴィクトリア女王即位50周年記念5ポンド金貨、通称「ジュビリーヘッド」

 

参考までに、ヴィクトリア女王の即位50年の記念コインには、5ポンド金貨のほか、2ポンド、1ソブリン、1/2ソブリンの合計4種類が存在します。(ソブリンは貨幣単位の一つでポンドのことです。)

この4種類の金貨の中で最も多く発行されたのは1ソブリン金貨で、発行数が110万枚以上あります。そのうち、プルーフ数は79枚のみ。

残りの2つの金貨、2ポンドと1/2ポンド金貨は、プルーフは797枚と、1ソブリン金貨よりも多いものの、総発行枚数は1ソブリン金貨よりも少なくなっています。

いずれにしてもこれらの4種類のコインは、ヴィクトリア女王の即位50年を記念して発行されたというストーリーも相まって、現在でも非常に人気が高い金貨の1つです。

 

1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨のサイズ・デザイン

1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨のサイズは、直径36.02mm、重量は39.9403g。オーストリア出身のハンガリー人彫刻家ジョセフ・エドガー・ベームによってデザインされています。

金貨の表面には、68歳のヴィクトリア女王の横顔が彫刻され、裏面にはセントジョージとドラゴンが描かれています。

金貨の中のヴィクトリア女王をよく観察すると、実にいろいろなものを身に着けていることが分かります。頭にはベールをかぶっており、その上に王冠が乗っています。そして、首には真珠らしきものでできたネックレスをつけ、着ている服にはたすきがかかっており、服の肩や胸の部分に勲章がついています。

 

1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨のデザインの背景

ヴィクトリア女王が身に着けているものの中でとくに注目したいのが「ベール」と「王冠」そして服の肩の部分についている「勲章」の3つです。

 

ヴィクトリア女王のベールに隠された悲しい出来事

▲ベールをかぶり、頭の上に小さな王冠を乗せたヴィクトリア女王の肖像

 

普通、王冠は頭の上部をすっぽり覆うようにかぶる大きなものですが、ヴィクトリア女王のかぶっている王冠はそうした一般的な王冠よりかなり小さく、かぶるというよりも頭の上に乗せているように見えます。いったいヴィクトリア女王はなぜそんな小さな王冠を「かぶって」いたのでしょう。このワケを知るには、1861年にさかのぼる必要があります。

この年、ヴィクトリア女王の夫であるアルバート公が42歳という若さで他界しました。女王も同じ歳の42歳でした。アルバート公はその数年前から体調を崩していたので、死因は病気。急死ではないのですが、夫の死はヴィクトリア女王にとって大変悲しい出来事だったと言われています。そのため、女王はそれ以降、黒の服を身に着け、白いレースのベールを頭にかぶり、女王自身が亡くなるまでの40年間、喪に服したのです。

 

ヴィクトリア女王が「小さな王冠」を選んだ理由

アルバート公は、ドイツのザクセン=コーブルク侯爵家の出身でした。日本の皇室の伝統から見ると、皇室のメンバーが外国人と結婚することは考えられませんが、当時のヨーロッパではよく行われていた慣習だったようです。

ヴィクトリア女王は3人の結婚候補を紹介されましたが、その中でアルバート公に一目ぼれし、結婚することになったと言われています。

結婚後もヴィクトリア女王は外国人である夫になにかと気を使っていました。それだけ夫を深く愛していたのでしょう。ですから最愛の夫が亡くなった時の悲しみはたいへんなものだったと想像します。

女王はしばらくの間、公の場に顔を出しませんでした。ただ1870年頃からは政府の圧力があり、公の場に出なければいけなくなり、正式な式典では王冠をかぶることも要求されました。

ところが女王は「イギリス皇室の正式な大型の王冠は喪服に似合わない」という理由から、それをかぶることを拒否しました。その代わりに王冠の基準に適った小型の王冠を作らせ、それを頭に乗せたのです。

 

ヴィクトリア女王が肩に付けた「勲章」が意味するものとは

次に注目したいのが、服の肩の部分についている勲章のデザインです。この勲章は「インド皇帝勲章」と呼ばれています

1858年にイギリスの植民地となったインドが、1876年にヴィクトリア女王をインドの君主と認め、翌年1877年に、女王をインド帝国の正式な皇帝として宣言しました。そして次の年、1878年にヴィクトリア女王自身が造り出したのがこの「インド皇帝勲章」だったのです。

興味深いことに、この勲章はイギリスの王女やインドの王女、また皇室関係者の妻など女性にのみ授与される決まりになっていました。この勲章の制度は、1947年にインドが事実上独立するまで続き、数多くの女性の関係者に授与されたと言われています。

 

ヴィクトリア女王の強さと弱さ

イギリスの君主は、日本の皇室と同じく「君臨すれども統治せず」と言われており、政治に口出しすることはあまりなかったのですが、ヴィクトリア女王だけは例外でした。政治的にも手腕を振るったと伝えられています。

英国は「太陽が沈まない国」と称されることがありますが、まさに、英国が世界中に多くの植民地を築いていったのもヴィクトリア女王の時代であり、強い女王のイメージがあります。

1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨にも、インド帝国の勲章をつけているヴィクトリア女王が描かれていることからも、その強さが表れているように思います。

ところがその一方で、夫の死を悲しみ、残りの人生を最後まで喪に服していたこと、またそのために小さな王冠を頭に乗せていたことなど、ヴィクトリア女王の弱さとも、またやさしさともとれる一面を、この金貨から垣間見れる気がします。

 

裏面のモチーフ「セントジョージとドラゴン」

 

1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨の裏面には「セントジョージとドラゴン」の絵が彫られています。

セントジョージは、5世紀にヨーロッパで敬われていた聖人です。

4世紀にトルコで生まれ、父が死んだあと母の故郷であるパレスチンに移り、そこでローマ帝国の兵士になります。最終的に軍の大将にまで昇進しますが、皇帝の「クリスチャンを迫害せよ」という命令を不服に感じ軍を離れるのですが、イスラエルでつかまり処刑されてしまいます。

その後この話がクリスチャンの間に広まり、ジョージは殉教者として聖人の称号をもらい、それ以降セントジョージと呼ばれるようになります。そして9世紀ごろからは、ヨーロッパ全域で、悪の象徴とされてきたドラゴンを退治する勇者として伝説に登場し語り継がれてきました。

英国のコインにセントジョージとドラゴンのモチーフが初めて使われたのは1817年。それ以降、このモチーフはイギリスコイン裏面のデザインにしばしば使われてきました。

 

1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨まとめ

ヴィクトリア女王の即位50年を記念して発行された1887年ヴィクトリア女王ジュビリーヘッド5ポンド金貨。プルーフの数が少ないため、希少性の高い金貨です。

金貨の表面にはヴィクトリア女王の横顔が、そして裏面にはドラゴンと戦う伝説の勇者セントジョージの姿が彫刻されています。

「パクス・ブリタニカ」と呼ばれた英国の最盛期に発行されたこの金貨からは、当時君主であったヴィクトリア女王の強さと、夫の死を悲しむ一女性としての弱さややさしさの相反する2つの側面、つまり「光と影」が彫り込まれているように思えます。