東インド会社とアンティークコイン|モハール金貨やセントヘレナと東インド会社の歴史

 

東インド会社の有名なコインには、モハール金貨、ルピー銀貨、パゴダ、アンナ、ファナム、キャッシュなどがあります。

4世紀前、エリザベス1世から受けた特許状以外はほぼ何も無いという状況下、スパイスを求めて船が出航しました。この船の探検家や開拓者たちは、危険を冒し、新境地を開拓し、時には残忍な過ちを犯すこともありました。東インド会社無しでは、世界は今とは全く異なるものになっていたかもしれません。

 

世界中の嗜好、考え方、人々自身をも変えた東インド会社は、新たなコミュニティを生み出し、商業、都市、さらには国も形作りました。東インド会社の旅は、現在も、その時代に取引されていた商品を扱う多面的なビジネスとして継続しています。新たな東インド会社は、過去から学び、より寛容で調和のとれた未来を作り上げることを目指しているのです。

東インド会社のコインは、貴金属業界では長いことよく知られているものです。当時、世界最大級の地金トレーダーとして成長を遂げた東インド会社は、今日においても、独自の取引通貨を発行した史上唯一の会社です。

 

東インド会社の歴史の多くは、そのコインのデザインに永遠に捉えられています。商品を探し求める上で、東洋の取引パートナーを魅惑するためにコインが使われたこと。新しいコインが造り出され、最終的に大英帝国の経済的な基盤を支えるようになったこと。東インド会社のコインは、このような物語を語り継げています。

 

東洋のパートナーを魅了するのに適した商品が不足していたことから、地金を取引商品として使用することが必要となりました。当初、東インド会社の船には毛織物などの厚手の布が取引商品として積まれていましたが、新たな市場を切り拓く際により容易に受け入れてもらえるといった理由から、すぐに地金コインがそれに取ってわりました。

 

17世紀半ばには、通商上のニーズを満たすために、東インド会社は英国から送られる地金に依存するようになりました。1677年までには、東インド会社は影響力のある存在となり、チャールズ2世からボンベイ領で独自の通貨を造幣する権利を与えられました。この権利は、以前の特許状の付与を通じてのものです。以後、インドでは、ボンベイ、カルカッタ、マドラスを含む14以上の造幣所が設立されることになりました。

 

CoinWeekの記事で、リチャード・S・アペル博士はこのように述べています。

 

インドを支配下に置いた間、東インド会社は1672年に最初の造幣所をボンベイに設立し、独自のコインを発行しました。当初、各地域の造幣所と争っている状態でしたが、東インド会社がインドを支配するようになってからは、1835年に、これらの造幣所は吸収合併されることとなりました。吸収された造幣所の内最大のものは、ムガル帝国、マラーター藩王国、およびラージプート藩王国に属するものでした。東インド会社は非政府組織であったにもかかわらず、インドに既存していた造幣所を統合した後1858年に至るまで、インド流通貨幣の唯一の発行者、および管理者となりました。

金貨は、通常、その国で最も価値の高い硬貨です。歴史的に見て、金貨はその国の豊かさ、力、そして威信を反映していました。実際のところ、歴史上のほとんどの国は貧弱であったため、金貨を発行することはできませんでした。

[東インド会社のコインには、モハール金貨、ルピー銀貨、パゴダ、アンナ、ファナム、キャッシュなどがあり、これらのコインの多くは、今でもコレクターの間で人気があり崇拝されています。]  東インド会社の金貨は、モハールと呼ばれています。1835年に、1モハールと2モハールの額面の金貨が発行されましたが、製造枚数は非常に少ないものでした。両方ともとても稀少で、非常に価値があり、ごく少数しか現存していません。1モハールコインは、流通を目的としたビジネス・ストライクとプルーフ・リストライク(再鋳貨)として製造され、大半の2モハールは、プルーフとして製造されました。

 

1835年になると、すべての英国植民地における硬貨は共通であるべきであるとの法令が、貨幣鋳造法により定められました。その結果、当時の国家君主であったウィリアム4世の肖像が描かれたコインが、初めて鋳造されることとなりました。

 

セントヘレナの発行機関

多くの歴史的記録によると、セントヘレナ島は、ポルトガルに雇われ航海していたガリシアの航海者ジョアン・ダ・ノーヴァによって、1502年5月21日に発見されたとのことです。島は、コンスタンティノープルの聖ヘレナにちなんで、「サンタ(聖)ヘレナ」と名付けられました。

 

セントヘレナは、南大西洋の真ん中に位置し、南アメリカのリオデジャネイロから東に2,500マイル、アフリカ南西部のナミビアとアンゴラから西に1,210マイルの場所に位置しています。どこからも遠く離れた、住む人のいない島の1つでした。要するに、絶海の孤島です。


▲ハイノールフォート - セントヘレナ

 

1657年、オリバー・クロムウェルは東インド会社にセントヘレナの行政権を認め、翌年、東インド会社は島の要塞化と植民を決定しました。1659年、初代総督ジョン・ダットンが到着したのを機に、セントヘレナは、北アメリカとカリブ海を除いた、英国で最も古い植民地の1つとなりました。

 

セントヘレナは東インド会社の成功に重要な役割を果たし、会社の重要な寄航港となりました。船は、英領インドと中国への航海の帰路で停泊し、水と食料を補充し、戦時中には、王立海軍の保護の下航海するために、この港で船団を編成しました。

 

現在、セントヘレナの人口は約4,500人で、バミューダに次ぐ英国で二番目に古い海外領土です。セントヘレナの現地通貨はセントヘレナ・ポンド(SHP)で、レートはUKポンドと等価に固定されています。2016年、東インド会社は、セントヘレナ島の法定通貨を造幣する権利を確保しました。

 

 

1677年にチャールズ2世により独自の通貨を造幣する権利を与えられてから300年、東インド会社は再び法定通貨を発行することを発表しました。地金取引の過去に遡った決定です。限定版のプルーフ金貨は、200年以上前に東インド会社のコインを最初に鋳造した、ロイヤル・ミント(王立造幣局)によって発行されました。

 

コインのデザインは、17世紀から19世紀に使用されていた、東インド会社の主要な取引通貨であるキャッシュとモハールのデザインを基にしています。銀貨のキャッシュ・プルーフコインは、不死と再生を象徴する孔雀のデザインが特徴で、それぞれ10ペンスと20ペンスに相当する1/2オンスと1オンスのコインが販売されています。金貨のモハール・プルーフコインは、富と繁栄を意味する名高いライオンとヤシの木のモチーフがほどこされており、それぞれ50ペンスと1ポンドに相当する半モハール、1モハールコインが販売されています。

 

限定版の東インド会社のプルーフコインは、通信販売で購入できるほか、ロンドンのコンデュイットストリートにある東インド会社の店舗でも購入できます。さらに、東インド会社は、世界中の地金ディーラーのネットワークを通じて、金と銀のコインを販売しています。

 

また同社は、100セット限りの限定版「200年記念 ギニー&ソブリン」コレクションセットを一般リリースしました。このセットには、2016年ギニー1枚と2017年ソブリン1枚が含まれており、価格は1,395ポンド(1,953米ドル)です。

 

 

22金のエクスクルーシブ・1/4オンス・プルーフコレクションには、東インド会社の2016年ギニー金貨(オリジナルのコインが発行された日と同じ日付に打たれたというマークがあしらわれています)と、ロイヤル・ミントのベネデット・ピストルッチがデザインした2017年ソブリン金貨の最新リリースが含まれています。

 

 

本記事は、『COINWEEK』の翻訳記事です(掲載許可有り)。元記事は以下のリンクより確認できます。

出典:The East India Company and Its Coins - By CoinWeek